“至宝”バッジョ、ユベントスの“宝石”ディバラに「信じられないほどの資質を…」
2019/10/14
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UEFAカップ獲得の功績が認められ、バロンドールを獲得した。ビアンコネーロ時代には「素晴らしい経験だった」
「(マルチェロ)リッピや(ジョバンニ)トラパットーニといった名将にも巡り会えたしね。幸運なことだったよ」
「だが、彼らとは些細なことからその関係に終わりを告げたんだ。それが、代表チームでも引きずることになるとは思わなかったよ」とふり返る。
代表チームではイタリア代表の「顔」として、新星として出場した1990年イタリア大会、エースとして出場した1994年アメリカ大会。
ベテランとして出場した1998年フランス大会。どの大会もオールドファンにとっては思い出深い大会となっているはずだ。
だが、本人は2002年の日韓ワールドカップが印象深いようだ。ロビー(バッジョの愛称)の選出をおおくのティフォージが望んだ。
実際、ワールドカップが近づいたイタリア代表の試合ではティフォージが「ロビーコール」をスタンドからチームに浴びせた。
しかし、トラパットーニは選出しなかった。そのことには「ショックだったよ。私はそのワールドカップ出場に値すると考えていた。パフォーマンスも申し分なかったはずだ」
コメント
ディバラ本人がユベントスでデルピエロのようなキャリアをのぞんでいるのが救いですね。
当時、ビアンコネーロのユニホームを身に纏っていたロビーのプレーを観たのをきっかけに、セリエAの虜になりました。