コラム:さらなる高みを目指して。ヴォイチェフ・シュチェスニーの決意
2006年、ロンドンに居を構えるこのクラブに入団し、下部組織やリザーブチームで経験を積む。
その活躍はやがて首脳陣の目に留まり、2008/09シーズンの最終節のストーク・シティ戦ではトップチームにも招集されるなど着実に成長を遂げる。
翌年、当時イングランド3部を戦うブレントフォードに半年間のレンタルで加入した。
移籍当初は降格も濃厚とされていたチームだったが、半年後には9位でシーズンを終え、その快進撃の立役者となった。
そしてレンタル期間を終えた2010/11シーズン、チャンス行きの列車は突然、彼の前にやってきた。
アーセナルに復帰したシュチェスニーは、ウカシュ・ファビアンスキ、マヌエル・アルムニアらの控えとしてトップチームの第3GKとしてベンチを温める時間が続いた。
しかし、両GKの負傷によって出場機会が回ってくると、そこから安定したパフォーマンスを披露。レギュラーに定着することとなった。
そして翌年、アルムニアが退団した後は背番号「1」を託されるなど周囲からの信頼を実力で勝ち取って見せた。
Sky Sports「シュチェスニーには判断力、俊敏性、鋭さが備わっている。以前から優秀な選手ではあったけど、彼は賢くて経験したことをすぐに習得してしまうんだ」
「信頼していただけに彼が成長して、非常に強力なGKになってくれてとても満足しているよ。プレミアリーグでもトップ5に入るGKであると誰も疑わないだろうね」
そう太鼓判を押すのは22年間アーセナルの指揮を執った若手抜擢に定評のある巨匠、アーセン・ヴェンゲル氏だ。
当時20歳だったこの逸材を信頼し、ピッチに送り出した同氏の英断は彼の才能により一層の磨きをかけることとなった。
しかし、上手くいっているときこそ、兜の緒を締めなければならない。成功を収めているとき、人というのは油断をしてしまう生き物なのかもしれない。
当時24歳だった彼は、大きな過ちを犯してしまう。
コメント
シュチェスニーと言えば去年のCLレアル戦の2ndレグで怒り狂って退場するブッフォンを必死になだめながら俺に任せろって雰囲気で交代する場面が頭を過る。
結果としては負けた試合でしたがあの時のシュチェスニーの熱い振る舞いには正直いい意味で驚かされました。ユベンティーノに対しても今後の力強いアプローチになってたと思います。
頑張れシュチェスニー!