コラム:ユベントスが取り戻しつつあるプライド
大なり小なり、どのクラブにとっても栄光の歴史がある。ジャイアントキリングをなし遂げた過去を誇りにするクラブもある。しかし、おおくのクラブは国内制覇を歴史とし、さらには欧州制覇を栄光にする。
現在のユベントスにとって、目指しているのは後者だろう。ビアンコネーロがUEFAチャンピオンズリーグ(CL)を制したのは1995/96シーズンまで遡(さかのぼ)らなければならない。
ビッグイヤーを掲げた1996年5月22日のアヤックス戦、ユーベFWファブリッツィオ・ラバネッリが12分に先制するも41分にMFヤリ・リトマネンのゴールで追いつかれてしまう。
その後は一進一退の攻防を繰り広げ、試合は両者は譲らずPK戦に突入。4人目のDFソニー・シ・ローイが外し、MFヴラディミル・ユーゴヴィッチが決めた瞬間、ユベントスは11年ぶり2回目の優勝を果たした。
アヤックスの第二次黄金期を担ったリトマネン氏は1994/95シーズン、オランダの名門クラブに22年ぶり4回目のビッグイヤーをもたらした。
ルイス・ファン・ハール監督に率いられた個性派集団は、国内はもちろん欧州でもその力を充分すぎるほど発揮する。
Tokyoughoul Re Kousatu Netabare故ヨハン・クライフ氏が現役時代だった「1970年代になし遂げたUEFAチャンピオンズリーグ(CL)3連覇も不可能ではない」、当時のメディアは当時のアヤックスをそう値踏みしたのを記憶しているオールドファンも少なくないはずだ。
実際、翌1995/96シーズンは2連覇を目指してファイナリストとして決勝の地スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマのピッチに立つことに成功している。
フィンランド代表でもアヤックスでも背番号「10」を任された才能を中心に「マシーン」と恐れられた強敵を、ローマの地で迎え撃ったクラブこそユベントスだった。
翌1996/97もアヤックスと準決勝で対戦し、1stレグを1-2で勝利し、2ndレグも4-1で完勝する。
ファン・ハール監督の退任、そしてボスマン判決、そしてこの敗北こそが結果的にアヤックスの第二次黄金期の終焉を意味するものとなった。
リトマネン氏は当時をふり返り、「(FWアレッサンドロ)デル・ピエロ、(FWファブリッツィオ)ラバネッリ、(FWジャンルカ)ヴィアリのトリデンテはスペシャルだった」
「彼らは非常に強力な攻撃陣を有しながら、(MFアントニオ)コンテや(MFアンジェロ)ディ・リービオといった多くのハードワーカーがいた」と回想する。