コラム:逆境を覆したユベントスの過去
サッカー界に燦然(さんぜん)とかがやく金言がある。
「我々は負けることに慣れてない」と敗戦の弁を述べ、のちに名将の道を歩むオランダ人がいる。1990年代初頭、ふたたび世界を席巻したアヤックスを率いたルイス・ファン・ハールは、他を寄せつけない圧倒的な強さとのちに欧州を席巻する個性豊かなキャラクターで、世界中のサッカーファンを魅了した。
1994年から1996年にはエールディビジ3連覇を果たす。1994-95シーズンには34試合27勝7分、得失点差78という成績で無敗優勝を記録し、さらにはCL(欧州チャンピオンズリーグ)でも無敗優勝を成し遂げる離れ業をやってのけた。
翌1995-96年、リーグ戦では3敗するがCLでは準決勝のパナシナイコス戦のファーストレグを0−1で落とすまで負け知らずの戦いをつづける。セカンドレグでは3−0で一蹴し、悠々と決勝戦に駒を進めていた。一方のファイナリストユベントスは1985年のCL初制覇から1987年を最後にこのシーズンまでCL出場から遠ざかっている古豪だった。
アヤックスの連覇は確実視されていたが、勝ったのはユベントスだった。
イタリア王者はPK戦の末、前回王者に競り勝った。4人目のMFヴラディミル・ユーゴヴィッチが決めた瞬間、選手もスタディオ・オリンピコに詰めかけたスタンドのユベンティーノも狂喜乱舞した。選手たちは泣き、ブリーフ一丁で狂ったように旗を振り回していたMFアンジェロ・ディ・リービオの姿がこの勝利の大きさを物語っていた。
PK戦の末に敗れ、敗戦に慣れてなかったファン・ハールの金言は19年経った現在でも色褪せることはない。また、そのときに着用していたユニフォームもまた多くのユベンティーノの心に深く刻まれている。
代名詞のビアンコネロ(白黒)ではなく青のセカンドユニフォームだ。Kappa製、胸にはSONYと前年のセリエA王者と前年のコッパ・イタリア王者に許される証、スクデットとコッカルダのラウンデルが縫いつけられ、両肩には黄色の星が描かれたユニフォームは現在では“伝説”にすらなっている。
クラブ創設100周年モデルや、そのときどきの感動や興奮を後世につたえるために数々の復刻版が販売されてはいるが、それらの比較にならないほどに96年のユニフォームの人気は根強い。
19年前と同じように今季のCL決勝戦も、どのメディアもバルセロナ有利の寸評が目立つ。しかし、CLの決勝戦では下馬評を覆した激闘が幾多あるのもサッカーの面白さをより深いものにしているのは周知の事実。
前途の決勝戦もそうだが、1994年のバルセロナ対ACミランもまた同じように語り継がれている。DFフランコ・バレージとDFアレッサンドロ・コスタクルタという大黒柱を欠いて挑んだ一戦は、圧倒的不利な下馬評を覆し4−0で完勝しているのも覚えているファンも多いことだろう。
こと“イタリア”は不利と言われれば言われるだけ、逆境をくつがえす秘めたる力を発揮するのは2006年のドイツW杯でも証明している。カルチョ・スキャンダルがあり、イタリアの名誉挽回をめざし世界制覇を成しとげたW杯決勝戦の地は、奇しくも今回のCL決勝戦と同じベルリン・オリンピアシュタディオンなのは興味深い。
たしかにバルセロナの選手たちの多くが近年のCL決勝戦の雰囲気を知っているのは否めない。しかし、ドイツW杯でそのピッチを知り、その場所で勝った経験があるGKジャンルイジ・ブッフォンとMFアンドレア・ピルロが現在のユベントスにはいる。
また今季のユベントスのセカンドユニフォームは1996年同様、奇しくも青である。決勝戦はバルセロナの代名詞でもあるブラウ・グラーナ(青とえんじ色)を着用するのが予想され、慣れ親しんだビアンコネロで決勝戦に挑むだろう。
1996年同様PK戦までもつれる決勝戦でもいいし、どんな小さなジンクスでもかまわない。ユベントスの勝利はクラブの復権を意味し、今季欧州の舞台でふたたび息を吹き返し始めたカルチョの復権をも意味する。