【特別対談】株式会社ジーク×J-JOURNAL
――さきほどもお話に出たんですが、宮下さんの世代ですと圧倒的に「野球」ですよね。どうして、ここまでサッカーに熱が入ったのでしょうか。
「やはりワールドカップですね。私の当時ってほぼ野球しかありませんでした。中学の頃にサッカー部に入ろうか迷ったんですが“流れ”で野球部に入りました。
また、中学の最後の大会ですごく悔しい負け方をしたのもあって、そのまま“流れ”で高校野球をやってしまった、という印象です…。本当は、丸坊主にはしたくはなかったんですけどね(笑)
自分の限界も分かっていたつもりですし…。やはり、純粋にサッカーのほうがやっていて楽しかったのもありますね。年に一回のTOYOTA CUPも楽しみでしたね。
それこそ(ミッシェル)プラティニも来ましたね。国立競技場まで見に行ってましたよ。プラティニも凄かったんですが、(ミカエル)ラウドルップが巧くて驚いたのを覚えています。
当時のユベントスの強さも鮮烈でしたよ。あの頃からどんどんサッカーに傾倒していきましたね」
――「株式会社ジーク」を設立し、ゆくゆくは「プロサッカーチームのスポンサーになる」いう概念はお持ちだったのでしょうか。
「起業した当初はそういう概念がなかったわけではないんですが、『いつかサッカーに携わりたいな』という願望に似たものは抱いていたのは確かですね」
――現在、FC東京のクラブスポンサーとして応援していますが、そのきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
「すべて自分の子どもが作ってくれた“ご縁”ですね。息子が幼稚園に入園したときに、初めてできたお友だちのお父さんが当時、FC東京の現役の選手だったんですよ」
――凄いですね(笑)
「私もサッカーが好きでしたから、彼のことはよく知っておりましたからビックリしましたよ(笑)息子が年中さんになったときに彼の子どもに誘ってもらったのがきっかけで、うちの子どもも一緒にFC東京のスクールに通うようになりました。
スクールに通うようになると、FC東京のクラブ関係者の方々とお話をする機会が増え、そんなある日『クラブのスポンサー』の話題になり、真剣に考えるようになりました」
――そうなんですね。もともとFC東京は好きだったのでしょうか。
「いや、じつは少し言いづらいのですが…レッズとジェフが好きでした(笑)というのも、レッズには(ウーべ)バインと(ギド)ブッフバルトがいましたし、ジェフには(ピエール)リトバルスキーがいましたから」
――1990年ワールドカップの優勝メンバーですね。
「そうです。ファンになるって案外そういうものがキッカケになっているはずですよね」
――分かります。僕もユベントスを好きになった理由は、プラティニのシュートが強烈な印象として残っていますが、単純に白と黒のユニフォームが「カッコいい」だけでした。当時小学1年生でしたし(笑)
「そうなんですよね(笑)でも、子どもができてから実はレッズやジェフへの愛情は薄れていたんですね。これは息子の友達のお父さんにも言ってはいないんですが、彼の人間性が素晴らしかったのもあり、鞍替えしました(笑)
引退試合も行きましたし、現在ではすっかりFC東京ファンですよ」