コラム:訪れた別れのとき
蛇(へび)は自身の成長を考えたとき、それまで自身を守ってきた「鎧」を脱ぎ捨てるようだ。いわゆる「脱皮」だ。この行為には新陳代謝も含まれる、とされている。
脱皮を重ね、余分なものを捨てていき、生物として大きく、強くなっていく。つい、サッカークラブの経営も似たようなものを感じてしまう。
選手がクラブを離れる場合、移籍がまず思い浮かぶだろう。そして不祥事により解雇同然で移籍に出される選手もいて、契約満了もある。
次にミッシェル・プラティニ氏やパベル・ネドベド副会長のような、愛するクラブでの引退。この場合、例外なくティフォージから後世まで愛されつづけるのはご存知のとおりだろう。
では、クラブの幹部が退任する場合は年齢による勇退か、能力を買われて他クラブへの移籍。そして意見の齟齬(そご)、つまり「仲違い」でしかないのが一般的だ。
スクデット7連覇、コッパ・イタリア4連覇、イタリアの盟主に返り咲いたユベントスは欧州でも、名門復活を高らかに誇示している。
その舞台となるUEFAチャンピオンズリーグ(CL)では、2014/15シーズンから昨シーズンまでに2度の準優勝を果たしているのは記憶に新しい。
「イタリアの恋人」ことユベントスの名門復活に貢献したジュゼッペ・マロッタが、クラブを離れることを口にしたのは現地時間9月29日のことである。
FootTheBallスポットライトを浴びるのが選手だとすれば、その影で辣腕(らつわん)をふるったのがマロッタであることはユベンティーニのみならず、多くの識者も認める事実だろう。
有能な選手の契約満了の機を逃さない狡猾さ。年齢で判断しない卓越した「先見の明」が、このゼネラルマネージャー(GM)にはあった。
たとえばアンドレア・ピルロ。元ミランの重鎮MF獲得は、当時サッカー界の話題を独占したかと問われると、「否」であることを覚えているユベンティーニも少なくないはずだ。
当時のユベントスは2シーズン連続で7位に終わり、ピルロも長らく過ごしたミランでは怪我などにより出番を失っていた。
多くのサッカーファンは、この世界を代表するレジスタのユベントス移籍に対し「都(みやこ)落ち」とまで揶揄(やゆ)した。
だが、アントニオ・コンテを新監督に迎えた「新生ユベントス」に見事なまでハマった。全盛期を彷彿とさせるプレーでユベンティーニを熱狂させ、自身もかつてのエレガントなプレーを蘇らせた。
移籍金は驚愕の「0」円。その翌年夏にも同額で獲得するMFポール・ポグバなど、相棒のファビオ・パラティッチとともに多大な功績を残した。
では、なぜマロッタはユベントスを離れることになったのか。
ここまでユベンティーニの多くは「ゴシップ」を目にしてきたはずだ。たとえば「マッティア・カルダーラを許可なく売ったから」などだ。
しかし、真相は案外単純なものな気がするのは少数派の意見ではないはずだ。
コメント
間違えていたらすみません。
ユヴェントス・スタジアムはアニェッリが会長に就任する前に起工していたと思うのですが、実質的にGOサインを出したのはアニェッリなのでしょうか?
ご拝読ありがとうございます!
厳密に申し上げますと、アニェッリ一家ですね。
「イタリア初」に強いこだわりがあったウンベルト、ジャンニの悲願とも云われております。
ですので、ユベントス・スタジアムのロビーには2人の名前が記されている、とのことです。
そうなのですね!
来月トリノに行くので見てきます!