コラム:訪れた別れのとき
その更に上をいくクリスティアーノの出費には、誰もが「マロッタが納得したのか」という疑問を抱いたことだろう。かく言う筆者も例外なくその一人だ。
実際、「パラティッチがマロッタに相談なしで会長に直談判し、交渉をまとめたことに激怒した」と報じたメディアもあった。
そして、かねてより「パラティッチが有能な選手をみつけてきても収支を懸念するマロッタが拒否」といったケースもあったようだ。
だが、現実としてマロッタはユベントスを去った。
この退任劇に「会長と埋めきれない溝ができていた」とイタリアメディアは報じたが、まったくの「デタラメ」でもないだろう。
結果として、クリスティアーノの獲得によって「ユベントス」のネームバリューが上がったのは周知のとおりだ。
アンドレア・アニェッリが会長に就任したのは2010年5月。その夏にマロッタはビアンコネーロのGMに招かれている。
その当時、赤字は9540万ユーロあったというから、経営は火の車だったはずだ。それでも総工費1億5500万ユーロをかけ、「ユベントス・スタジアム」建設に踏み切っている。
そして当時の収益が1億7200万ユーロとされているから、選手の給料、人件費などを支払えば手元に残るのはわずかだったはずだ。
限られた予算で有能な選手を買う、という「青写真」をマロッタは驚異的な才覚を発揮し、見事なまで現実の「生写真」にしてみせた。
TUTTOmercatoWEB.com初年度の2010/11シーズンこそ結果を残せなかったが、ユベントスの歴史を顧(かえり)みて、足りない「なにか」に気づいたのだろう。
前途のコンテ、ピルロ、リヒトシュタイナー、MFアルトゥーロ・ビダルを2011/12シーズンに招き入れている。
特筆すべきは、上記の選手たちが現在でもユベンティーニの心にあることを考えるとマロッタの「補完能力」には凄まじいものを感じるはずだ。
この敏腕すぎたGMがユベントスに来た当初に獲得し、現在でもビアンコネーロのシャツに袖を通すDFアンドレア・バルザーリは感謝を述べる。
DFレオナルド・ボヌッチも1年間の空白を作ったものの「私はマロッタに感謝するしかない。2010年の南アフリカワールドカップ前に彼とパラティッチとで私に会いに来てくれた」
「そして獲得を望んでくれ、私をユベントスに連れてきてくれた。彼には感謝するしかない」と加入への経緯を話している。
余談ながら今夏、ユベントスの復帰を手伝ったのもマロッタだともいわれている。
ネドベド副会長も「マロッタはユベントスと我々理事にとって非常に重要な存在だった。我々は彼から多くのことを学んだ」
「私が理解できていないときには、事細かに説明をしてくれた。マロッタには感謝したい。彼なしのこれからには、おおくの困難が待ち受けるだろう」
「しかし、ユベントスはこれからも在りつづける。我々は力強く進まなければならない」
「そして、我々がここにいなくなる日も来るだろう。それでもユベントスはいつもそこに存在する」とサッカー界の刹那をコメントしている。
コメント
間違えていたらすみません。
ユヴェントス・スタジアムはアニェッリが会長に就任する前に起工していたと思うのですが、実質的にGOサインを出したのはアニェッリなのでしょうか?
ご拝読ありがとうございます!
厳密に申し上げますと、アニェッリ一家ですね。
「イタリア初」に強いこだわりがあったウンベルト、ジャンニの悲願とも云われております。
ですので、ユベントス・スタジアムのロビーには2人の名前が記されている、とのことです。
そうなのですね!
来月トリノに行くので見てきます!