コラム:ユベントスの守護神
おそらくだが、1972/73シーズンにセリエA無失点記録903分をGKディノ・ゾフが打ち立てたとき、その記録をユベンティーノたちは誇りに思ったに違いない。
30歳でユベントスに入団したゾフにとって、彼への評価は冷ややかなものだったと聞く。その低評価だったGKが1963/64シーズンにマリオ・ダポッツォが打ち立てた791分を大きく上回る。
その後20年もの間、抜かされることのなかった大記録はグランデ・ミラン全盛期の1992/93シーズンにセバスティアーノ・ロッシによって抜かされてしまう。ゾーンプレスという最先端の戦術によりこのシーズンも制覇。翌シーズンも優勝し3連覇を果たしている。
ところがロッシへの評価は、期待していたそれとは少し異なる。
歴代サッカー史上屈指の4人(バレージ、コスタクルタ、マルディーニ、タソッティ)で構成された当時のミランDF陣に世の注目は集まり、ロッシにとっては幸運であり、同時に不幸なことでもあった。
ミラン王朝が1987/88シーズンから欧州のみならず世界を凌駕していたその頃、トスカーナ州で、州選抜のFWにもなっていた将来有望な少年がGKに転向する。一説には練習試合でGKが欠席したため、大柄だった彼がゴールマウスを守ったとの説もある。ともかくも、ここからGKとしての“選手生活”を開始する。
その少年こそ、のちの「ジジ」ことジャンルイジ・ブッフォンその人である。
日本代表GK川島永嗣も指導したエルメス・フルゴーニに見出された才能は、1991年パルマの下部組織に入団。その4年後の1995年、若干17歳でセリエAのピッチを踏んでいる。その翌シーズンには正GKの座を掴みとる。
ここから順調にキャリアを積み、DFファビオ・カンナバーロ、DFリリアン・テュラムらと堅固な守備を築く。1998/99シーズンにはコッパ・イタリア、UEFAカップ(現EL)、イタリア・スーパーカップを獲得している。
中田英寿氏がローマからパルマに移籍を決意させた裏には、堅固な守備が大きな要因だったのはよく知られている。ところが、ブッフォン、テュラムは2001年ユベントスへの移籍を決断し、日本の至宝とプレーすることはなかった。
この移籍にユベンティーノは沸いた。このときパルマに支払われた56億円のGK史上最高額の移籍金は、いまだ抜かれていない。
ユベンティーノは「これで失点が10は減る」とまでエトヴィン・ファン・デル・サールを貶(けな)した。このオランダ人GKはアヤックス仕込みの足技を披露し、相手FWに奪われるシーンが多々あり、ユベンティーノの信頼をすっかり失わせていたのだ。
移籍1年目に1997/98シーズン以来となるスクデットを獲得に貢献し、ユベンティーノの心を掴むと、翌シーズンにはUCL(欧州チャンピオンズリーグ) の決勝戦までチームを牽引する活躍みせる。決勝戦にはPK戦の末に敗れたもののFWフィリッポ・インザーギが放ったダイビングヘッドのファインセーブは未だ語り草になっている。
2006年にカルチョスキャンダルの制裁で、セリエBにユベントスが降格してもチームのゴールマウスを守りぬいた男は、現在でもその場所で存在感を放ち続けている。
GKによっては、味方選手のミスやシュートを打たれると、大声で怒鳴り散らすシーンがよく見受けられるが、ブッフォンはどんなシーンでも笑顔で親指を立てる。この行為こそが、どの世代の監督、チームメイトにも愛される要因だろう。
「聖イケル」と崇拝され、引退するその日までレアル・マドリーのゴールマウスを守ると思われたGKイケル・カシージャスでさえ、キャリア晩年の現在ではその場所を守れてはいない。
そのことを考えると、ユベントス加入からどの監督にも起用されるのは技術だけでは決して語ることのできない実績だろう。
盟友アントニオ・コンテがチームを率いた2013/14シーズンにはセリエA歴代7位となる745分の無失点記録を樹立。今シーズンはその記録をゆうに超え、第29節のサッスオーロ戦ではゾフの903分も超え、歴代2位に駆け上った。残り4分で新記録のかかった第30節トリノ戦では記録を973分まで伸ばし22年ぶりに更新する。
22年前と比べボールはGKにとって処理しにくくなり、スパイクもよりボールに力が伝わりやすく進化した現代での記録更新は価値があるはずだ。
それでもブッフォンは「このチームを誇りに思う。このチームでのプレーは幸せだ。技術面でも精神面でも、稀有な価値をもったチームメイトばかり」と自分の記録よりもチームメイトへの感謝を忘れなかった。
第31節、ホームで迎えたエンポリ戦では新記録更新を祝い「GIGI」のコレオグラフィーでユベンティーノたちはセリエA史上最高のGKを盛大に出迎え、ブッフォンも1-0の勝利に貢献する活躍をみせた。
ブッフォンは先日、40歳での「引退」をほのめかした。
2018年ロシアワールドカップに出場すれば、通算6大会出場となり、同大会歴代最多出場記録を更新する。そのときブッフォンは40歳になっている。ゾフが40歳で1982ワールドカップに出場したとき、「老いぼれ」と揶揄されたがブッフォンをそう呼ぶファンは少ないはずだ。
ゾフは優勝で最後のワールドカップを終えているのは周知のとおりだろう。
現在38歳の彼が国際舞台で手にしていないタイトルは、バロンドールとUCLとEURO(欧州選手権)のみである。今年の6月にEUROがあり、残り2つの賞もあと2年でまだ狙えるはずだ。
余談ながらブッフォンはユベントス入団すると、まずGKのユニフォームを“変える”試みを行っている。蛍光ピンクに七分袖のシャツを“発注”し世間を賑わしている。
当時はおおくの嘲笑にあったが、現代ではサッカーにおける蛍光色は珍しいものではなくなり、七分袖のシャツはファッションの世界でもスタンダードになっている。
当時ブッフォンは「誰もやったことのないことを試したかった」と語っている。名実ともにセリエA史上歴代最高のGKになった男のキャリアは、世界中でおそらく唯一無二のものになるだろう。
2016年3月20日。ブッフォンは、後世に語り継がれるであろう金字塔を打ち立てたのと同時にゾフの時代のユベンティーノが持っていた誇りを、22年ぶりに我々に取り戻してくれたのだ。
著者/Juventus Journal 編集部 山口 努
コメント
ブッフォンには、頭が下がります。
ブッフォンは若いころも素敵だな
40歳で引退か、次はネトが守っている間に
スクフェットが来てくれると個人的には嬉しい