コラム:Old soldiers never die, but fade away.
その翌シーズン、ピルロほどの才能に恵まれなかったもののその穴を埋めるにあまりある活躍をみせる。
しかし、セリエA第33節パレルモ戦で前十字靭帯断裂の大怪我を負った。この怪我が彼のキャリアを大きく変えた。
先ほど、「マルキージオは時代に愛された」と記した。個人的な感想だが、プリンチピーノを愛してくれたのが、いわゆる「勝利の女神」だとすれば、そのキャリアを奪ったのも彼女だろう。
前十字靭帯断裂から復活する選手は少なくない。アレッサンドロ・デル・ピエロもその1人だ。しかし、その時期が遅かった。あまりにも遅すぎた。
デル・ピエロは24歳でその怪我を負ったが、マルキージオは30歳で負ってしまった。
ベテランの域に入った選手が負う怪我ではなかった。前十字靭帯断裂は、残酷なほどに彼の能力を根こそぎ奪っていった。
それでもプリンチピーノは、ユベントスを支え、多くの勝利とタイトル獲得に貢献した。クラブの「FINO ALLA FINE」の精神を守り、体現する選手だった。
そして、2018年8月17日。双方合意のもと契約は解除された。
ユベントスは退職金がわりに多くのボーナスを与えたようだ。その額は明らかになっていない。マルキージオもまた、文句一つ言わずに感謝だけを述べ、クラブを去っていった。
余談ながら今年6月、東京・豊洲で「JUVENTUS ACADEMY」が開催された。多くの生徒やその親御さんが詰めかけ、プリンチピーノは1人1人に丁寧にサインを書き、写真撮影に応じていた。
ファンへの応対が一段落つき、少し、休んでいるときに「JUVENTUS ACADEMY」のトミーコーチが筆者にマルキージオを紹介してくれた。
トミーコーチはプリンチピーノに「彼はユベントスのWebサイトを運営している…」と耳打ちしてくれた。
そのとき、緊張から解き放たれるような笑顔を筆者にみせてくれた。
数年前にヴィノーヴォで接したことがあるが、そのときには見ることができなかった笑顔だ。
「そのWebサイトはいつから運営しているの?」や「いつから好きなの?」「好きな選手は?」などを少年のような笑顔で聞いてくれた。
「Webサイトは今年の9月で4周年をむかえます」、「(ミシェル)プラティニが日本に来たときからです」、好きな選手に「クラウディオ、君だよ」と筆者が言うと大笑いをしていた。
なんとも謙虚な青年だな、と思い、「来シーズンもユベントスに残りますよね?」と聞いてみた。
すると近くのコーディネーターと思われるイタリア人が「そういう質問はやめてください」とすっ飛んできた。
だが、マルキージオは笑顔でウィンクだけをし、筆者の肩を軽く叩き、その場から立ち去っていった。
コメント
デルピエロ→ブッフォン→キエリーニ→マルキージオとなると思ってた。
次のカピターノはディバラかな。出戻りがなければボヌッチだったろうが。
先代達の魂をついてユーベverサネッティのような偉大なバンディエラになってほしい。
涙が出そうになってしまうね。 苦しい時代を支えてきた人だからね。 俺にとってはデル・ピエロと並ぶユーベの象徴だよ。 今までも、これからも。
名残惜しすぎる。ドラマがありすぎた。それはこれからもと思っていたけれど、、、ありがとうです。
俺は感動した。
良いコラムをありがとうございます。