コラム:Old soldiers never die, but fade away.
「Old soldiers never die, but fade away」
直訳すると「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」となる。
この英米の軍歌の一つとして親しまれたものに、市民権を与えたのは日本と馴染み深い、故ダグラス・マッカーサー氏だろう。
「出ていくなら、しっかり言うべきよ」
上記のコメントは、とある妻がSNSに投稿したものだ。この文面には主語がなかった。妻は夫が愛するクラブの存在、その大きさを理解してのことだろう。
だからこそ、敢えて主語を記さなかったのだろう。もし、記してしまえば夫の華々しいキャリアと素晴らしい人格に泥を塗ることになる。
彼女としても、それだけは避けたかったのだろう。夫は、ユベントスへの感謝だけを口にし、25年間の袖を通しつづけたビアンコネーロのシャツに別れを告げた。
「夫」ことクラウディオ・マルキージオはクラブを去り、ユベントスの背番号「8」はおよそ10年ぶりに空き番号となった。
「イル・プリンチピーノ」と愛された男は、逆説的にいえば時代に愛された。カルチョ・スキャンダルがなければ、先発に名を連ねていたかどうか個人的には疑問符がつく。
パトリック・ヴィエラ、エメルソン、マウロ・カモラネージ。そしてパベル・ネドベドがいた。マルキージオがいかに有望な新人だったとしても、偉大な選手たちをベンチに追いやれたかどうか。
GazzaMercato選手として、線は細くとも、類まれなサッカーセンスと高い戦術理解度がマルキージオにはあった。FWアマウリが去ると、ついにユベントスのレギュラー番号を勝ち取った。
そう、背番号「8」だ。
かつて「闘将」と愛されたアントニオ・コンテが背負ったものだ。1986年生まれのマルキージオが、ユベントスの門を叩いた1993年、その背番号はコンテのものだった。
そしてプリマベーラからトップチームに昇格後、「19」や「15」と多くの背番号を任された。
厳密にいえば、アマウリ在籍中に「8」を譲ってもらっている。羨望と愛着があったのは明らかだ。
かつての背番号「8」がユベントスの監督になると、「闘将」もマルキージオを重宝した。そして共に「JUVENTUS」を復活させた。
昨シーズン限りでユベントスを去ったGKジャンルイジ・ブッフォン、SBステファン・リヒトシュタイナーとともに。
マッシミリアーノ・アッレグリはコンテほど重宝しなかったが、「プリンチピーノ」を信頼した。
だからこそ、就任初年度にUEFAチャンピオンズリーグ(CL)でファイナルに勝ち進んだとき、マルキージオを先発させたのだろう。
アンドレア・ピルロ、アルトゥーロ・ビダル、ポール・ポグバらとともにカルテットを築いた。1-3で敗れ、準優勝に終わったが歴代のユベントスの中盤をみても遜色ない屈強さが彼らにはあった。
コメント
デルピエロ→ブッフォン→キエリーニ→マルキージオとなると思ってた。
次のカピターノはディバラかな。出戻りがなければボヌッチだったろうが。
先代達の魂をついてユーベverサネッティのような偉大なバンディエラになってほしい。
涙が出そうになってしまうね。 苦しい時代を支えてきた人だからね。 俺にとってはデル・ピエロと並ぶユーベの象徴だよ。 今までも、これからも。
名残惜しすぎる。ドラマがありすぎた。それはこれからもと思っていたけれど、、、ありがとうです。
俺は感動した。
良いコラムをありがとうございます。