コラム:「アッレグリ・ユベントス」が求める“様式美”
2022/03/09
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著者:J-JOURNAL 編集部 山口 努
思い出は美化される傾向にある。
昨年の夏、マッシミリアーノ・アッレグリ監督がビアンコネーリでふたたび指揮を執ることが決まったとき、大多数のユベンティーニが喜んだはずだ。
このイタリア人監督は、とてつもない絶望感にさいなまれる日々がつづいた翌試合には、想像以上の勝利をもたらしてくれた稀有な人物である。
たとえば、2017/18シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)でのラウンド16と準々決勝が想像しやすいだろう。
ウェンブリーで逆転勝利を収めたトッテナム・ホットスパー戦、2戦合計で負けはしたもののサンチャゴ・ベルナベウでのレアル・マドリー戦が印象に濃い。
アッレグリ監督に対する筆者のイメージは「負けない監督」。「なんだかよく分からないが最後は勝利している監督」と考えている。
その考えに変わりはない。
AS現地時間2日、コッパ・イタリア準決勝1stレグ、フィオレンティーナ戦がスタディオ・アルテミオ・フランキで開催された。
おそらくだが、このフィオレンティーナ戦を「なんだかよく分からないが勝利している監督」の“最大級の部類”に入る試合だと感じたユベンティーニは少なくないはずだ。
しかし、負けてもおかしくない試合ではあったが、「絶対に負ける試合」と感じたユベンティーニは少数派だっただろう。
シュートを撃たれた場面は多々あったが、「絶体絶命の場面」といった類(たぐい)のものはそこまであっただろうか。
小難しい戦術論は割愛するが、アッレグリ監督がこの試合でみせたのは“省エネ”での90分間に感じた。