コラム:「あの頃」のユベントスに感じたもの
著者:J-JOURNAL 編集部 山口 努
新型コロナウイルスの影響により、欧州のフットボールは停止を余儀なくされている。
だが、その反面、各チームはファンを喜ばせるためにさまざまな企画を打ち出し、元気を与えている。
選手も自身のSNSを駆使し、現在の“素顔”や過去の出来事をふり返るなど、ファンを飽きさせてはいない。
メディアもさまざまな角度から戦力の分析や過去のチームと比較し、読者の心を離さないように苦心している。
有料メディアは過去の試合を放送し、会員の心を繋ぎ止めている。
イギリスメディア『DAZN』は、3月末にユベンティーニに歓喜と絶望を味合わせた3試合を放送。
同メディアはUEFAチャンピオンズリーグ(CL)1995/96、1996/97、1997/98シーズンの決勝戦3試合を放送している。
ユベントスが3年連続でファイナリストに勝ち進み、マルチェロ・リッピ政権下の「第一次黄金期」として広く知られている。
ひと言では表現しにくいが、当時のビアンコネーリは「泥臭さ」や「屈強」という言葉が当てはまるのではないだろうか。
守備陣は「カテナチオ」を感じさせつつ、老獪なディフェンスでことごとく攻撃を跳ね返していた。
攻撃陣は攻めて、攻めて、押し切る“横綱相撲”だ。MFとSBの選手たちは気の毒なほど走り回り、チームに躍動感を与えていた。
現インテル監督のアントニオ・コンテもMFのひとりとして、指導者になっても当時のチームを彷彿とさせる“骨格”を感じさせている。
現フランス代表監督のディディエ・デシャンも同様だ。選手交代などはおそらくだが、リッピの指導の影響は少なからずあるはずだ。
現レアル・マドリーのジネディーヌ・ジダンは、戦術面では違いを感じさせるが、中心選手を明確にする戦いは、この当時の“肌感覚”を強烈に受け継いだ。
チームのバランスを崩さず、中心選手をフィールドプレイヤー9人が徹頭徹尾サポートする戦略は、ユベンティーニにとっては苦い経験だが、記憶に新しいはずだ。
戦術面で「多彩」とはいえないジダンだが、自身の微調整の秀逸さでレアル・マドリーを前人未到のCL3連覇に導いた。
DFラインをときに3枚にし、たとえ主力でもチームのバランスに支障をきたせば交代させるところもリッピの特徴と似通ったものといえるのではないだろうか。
「リッピ・チルドレン」の3人は現役引退後、監督としてキャリアをスタートさせ「成功」を収めたのは偶然ではないだろう。
指導者としての道を歩まなかった選手たちも多いが、あの3シーズンだけを切り取って語らせてもらえるのなら、すべての選手から放たれる「泥臭さ」が顕著だ。
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