コラム:ユベントスに導かれた二人のイタリア人
コンテによってクラブのアイデンティティを叩き込まれたバルザーリは、アッレグリを陰ながらサポートし、指揮官もまた後輩を重宝した。
今シーズンのホーム最終戦のアタランタ戦。61分に交代を告げられるとチームメイトやアタランタの選手たちと淡々と挨拶を済ませていく。
「ずいぶんと淡白だな」と感じさせたそのとき、DFレオナルド・ボヌッチが目の前に立つと表情をゆがませる。
“BBBC”のなかでもっとも若いボヌッチは、おおくの面で“兄貴”に迷惑をかけた。だが、ユベントスの歴史をともに築いた後輩を前に、堪えていたものが耐えきれなかったのだろう。
暗黒期の脱却から掴んだ栄光の日々。恩師コンテの辞任。雪のイスタンブール。ミランへの移籍。ともに夢見たCL制覇。もちろん、これらは想像でしかない。
バルザーリの目に光るものを溜めながら現役最後のピッチを退き、DFジョルジョ・キエッリーニとの抱擁もまた長かったのも気のせいではないだろう。
そして最後はアッレグリと抱擁した。抱き合いながら、互いに言葉を交わした先輩は目に涙を溜め、後輩は堪えきれなくなっていた。
もし、バルザーリがマックス(アッレグリ)と出会わなければ、その後の未来が変わっていた可能性は否定できない。
アッレグリは後輩への感謝を口にする一方、最後まで指揮官としての立場を貫き、バルザーリを突き放した。
ともかくもセリエA史上最高の勝率を記録したアッレグリはクラブを去り、バルザーリは選手生活に幕を下ろした。
La Stampa現代はSNSなど情報網が凄まじい進歩を遂げ、きめ細かく情報が届く。その弊害か、勝利に導いた者を神のように称え、敗北にはスケープゴートをみつけ、叩く風潮が生まれている。
アッレグリもバルザーリもその矢面に立たされたのは、遠い過去の話ではない。
誰かのせいすれば、気がすこし紛れる風潮は古今東西変わらない。ユベントスがアッレグリに下したそれは、クラブが進化するための苦渋の決断といえるだろう。
現代風にいえば、「アップデートしなければならなかった」と言い換えることができるのではないだろうか。
新監督が誰になるかは分からない。どんな監督になっても、必ず“不具合”が起こるものだ。現代人のPCや携帯電話、またはアプリがそうであるように、これまでとは状況が異なってくる。
すると「昔のほうが良かった」となる。
これは誰もが一度は経験したことのある事柄だろう。我々が抱くそれが、来シーズンのユベントスに起こる可能性も否定できないのだ。
逆に、機能性に溢れ、悦びを得られるのかもしれない。失ってその大きさに気づくものがあるように、おおくのユベンティーニはアッレグリとバルザーリを懐かしむだろう。
“現在進行系”のティフォージもいるだろう。2人はそれだけの功績と、興奮と、歓喜を世界中のユベンティーノの心に色濃く刻んでくれた。
アッレグリが去っても、バルザーリが選手生活に幕を下ろしても、ユベントスがなくなるわけではない。
だが、常勝軍団の中核を担った2人の勇退は、ユベンティーノの心に大きすぎる穴を開けたのは事実だ。
ユベントスに導かれた二人のイタリア人は、ユベンティーニに期待されずクラブにやってきて、多大な功績を残し、万雷の拍手とともにビアンコネーロを去る。
著者:J-JOURNAL 山口 努
コメント
ピルロのゴールの後すぐさまめっちゃ笑いながらロッカールームに戻ってたのはすごい覚えてる。
泣けました。
デ・ロッシのローマ最後の試合も泣けました
バルザーリもいなくなりなんだか寂しくなりますね。
僕はユベントスのファンです自分でもユベンティーニだと思っております。
ですが、カルチョが好きなのです。
だから、本当になんだか寂しく思います。
だから僕は来期を楽しみにしています
新しい監督、新しい選手、新しいカルチョを。