コラム : ユベントスの歴史に名を刻んだブラジル人
実際、おおくの選手が車で帰っていくなか、彼だけは頻繁にティフォージのまえに顔を出し、サインや写真撮影などに丁寧に応じてくれたようだ。
こじつけかもしれないが、手厚いファンサービスを行うことでも知られるビアンコネーリのレジェンド、アレッサンドロ・デル・ピエロの愛称が“アレックス”であることもまた、目には見えない“縁”のようなものを感じてしまう。
そんなサンドロだが、ユベントスでのキャリアが順風満帆だったかと言えば、必ずしもそうとは言い切れないだろう。
加入当初のような無尽蔵なスタミナや、正確無比なクロスは年齢ともに鳴りを潜め、近年は稚拙なミスからチームをピンチに招いてしまうシーンも珍しくなかった。
ここ数年はメルカートの話題になるたびに放出候補として名前が挙げられることもあり、一部では“終わった選手”として厳しい言葉を投げかけられることもあった。
それでも本職だった左ウイングバックから3バックの左にポジションを変え、絶対的なレギュラーではなくなっても、腐らず堅実にチームを支えた。
スクデット5回、コッパ・イタリア5回、そしてスーペルコッパ・イタリアーナ2回。これらは彼がクラブとともに刻んだ確かな歴史であり、今後もティフォージの間で語り継がれることだろう。
欧州の舞台でも、マンチェスター・シティ戦でマリオ・マンジュキッチの得点をアシストしたシーンは今でも脳裏に焼き付いているし、2016/17シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ準優勝も彼なしでは成し得なかったと思っている。
華々しい黄金期を知り、その後の“暗黒期”と言っても過言ではない4年間を経験したサンドロ。
愛するクラブで酸いも甘いも噛み分けたからこそ、モンツァ戦でピッチを去る際には様々な思いが交錯し、涙を流したのかもしれない。
試合後にはおおくのメディアからインタビューを受けていたが、そのほとんどでチームメイトやクラブスタッフ、ティフォージのことを”famiglia(家族)”と形容していたのがとても印象的だった。
これは私見ではあるのだが、ユベントスとブラジル人の相性はあまり良くないと考えていた時期がある。
2009年にやってきたジエゴやフェリペ・メロは思うような活躍が出来ずにチームを去っていったし、2012年に加入したルシオもほとんど記憶に残らぬまま退団していった。
2016/17シーズンにビアンコネーリのCL決勝進出に貢献したダニエウ・アウヴェスでさえ、わずか1年でチームを去ったあと「ユベントスはおれのプレースタイルを理解しようとしなかった」とイギリスメディア『Sky Sport』のインタビューで不満を述べている。
コメント
素晴らしい。
それにつきます。
またこんな素晴らしいコラムお願い致します。