コラム:ユベントスを勝利に導いた先人たち
友人のイタリア人の父親は、生粋のユベンティーノである。現在でも健在で、「今度はいつイタリアに来るんだ」と催促される。
ファン歴およそ50年。初見の日、会うのを楽しみにしていたし、かわした会話は数年経った現在でも色濃く記憶に残っている。
まず、「好きな選手は誰ですか?」と質問した。するとこの老紳士は躊躇(ちゅうちょ)することなく「ミシェル」と答えた。
そう、ミシェル・プラティニだ。
カルチョに世界中の才能があつまっていた90年代のユベンティーニに、同じ質問をするとほぼ「ロベルト・バッジョ」と答えるだろう。
“その後”のユベンティーニたちの答えは、「アレッサンドロ・デル・ピエロ」と移り変わっていく。
UEFAチャンピオンズリーグ(CL)グループステージ第三節ロコモティフ・モスクワ戦の77分、FWパウロ・ディバラが華麗なゴールでネットを揺らした。
前半でビハインドを負っていたユベントスにとって、起死回生の同点ゴール。その2分後の79分、ディバラは再度ネットを揺らし、チームを勝利に導いてみせた。
あまりの華麗さと、衝撃に日本時間23日早朝。とはいえ、大声を上げたユベンティーニは少なくないはずだ。
同点ゴールが決まった瞬間、筆者はデル・ピエロを思い出した。
アレックス(デル・ピエロの愛称)は、チームが苦境に陥るたびに救ってきた印象が濃い。
もちろん、あくまでも筆者のイメージになる。期待し、敗戦も経験したし、すべての試合で勝利したわけではない。
だが、ここぞ、というときにネットを揺らしてきた記憶は、おおくのユベンティーニの脳裏に色濃く残っているのではないだろうか。
デル・ピエロのラストシーズンとなった「2011/12」シーズンが個人的に色濃い。そのことは2年前の「あなたにとってのデル・ピエロとは?」を参照してもらえればと思う。
アレックスもディバラ同様、ベンチを温める試合がおおいシーズンもあったし、移籍が囁かれた時期もあった。