コラム:つねにユベントスの窮地を救ってきたアッレグリ監督の軌跡
著者:J-JOURNAL 編集部 山口 努
マッシミリアーノ・アッレグリ監督の近年をふり返ると、「つねにビアンコネーリの窮地を救ってきた監督」と形容できるのではないだろうか。
第一次政権時は2014/15シーズン開幕前に誕生。アントニオ・コンテ監督の突然の辞任に伴い、指揮を任せられた。
元ミランの監督だったからなのか、理由は多々あっただろうが多数のユベンティーニから懐疑的に、そして嫌悪されていた傾向が記憶に色濃い。
絶大な人気とカリスマ性があったコンテ監督の後任だったこともあり、シーズンが開幕してもその傾向は強く残っていたような記憶がある。
実際、アリアンツ・スタジアムに詰めかけたユベンティーノたちは、如実に“不快感”を示したのを覚えている。
ホームで試合をおこなう際、先発メンバーが紹介されるのをご存知のティフォージも多いだろう。
まず、監督がコールされ、背番号の数字の若い順から選手たちの名前がコールされていく、アリアンツ・スタジアムでの恒例行事だ。
アッレグリ“新”監督のホーム初戦。
「マッシミリアーノ…」と呼びかけても反応が少なく、大ざっぱにいえば、「アッレグリ」とエールをおくったユベンティーニはほぼいなかった、と記憶している。
そして、「ウーノ…ジャンルイジ…」と呼びかけられると「ブッフォン!」と悲鳴に近い大歓声で迎えられ、いささか可哀想な“出迎え”だった。
しかし、この智将は実力でユベンティーノの心をわしづかみにし、コンテ監督以上の成績を残し、クラブ史上最高のタイトル数をもたらしている。
そして、2019年の5月にチームを去る直前の試合では人気選手に負けないほどの「アッレグリ!」のエールを受けるまでになった。
もしその頃に、「アッレグリ監督とコンテ監督のどちらが好きか?」という“調査”があったとすれば、おそらくだが前者が圧倒したような気がする。
マックス(アッレグリ監督の愛称)はこれまで、前任者の作ったチームの長所を生かし、選手たちの特性を生かし、フォーメーションを組んできた。
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