コラム:ユベントスの“魂”のゆくえ
2021/09/06
著者:J-JOURNAL 編集部 山口 努
筆者にとって、忘れられないエピソードがある。
話は1984年まで遡る。故ジャンニ・アニェッリによってビアンコネーリに招かれたミシェル・プラティニ氏は、当時キャリアの絶頂期にあった。
たとえ戦術の潮流に変化があっても、MFのポジションながらセリエAで3年連続(1983〜85年)得点王は並はずれた記録だろう。
そして、この3年間でバロンドールを3年連続で獲得していることを考えれば、ユベントスにとって誇りであり、孤高のジョカトーレだったはずだ。
得点王を獲得する前年の1982年にビアンコネーロのユニフォームに袖を通したプラティニ氏は、ユベントス時代の印象に残るエピソードを後年話している。
「たくさんあるが…」と前置きしたうえで、「敢えてひとつ選ぶなら」と1984年の欧州選手権直後のできごとを挙げている。
欧州選手権第1回大会以来、24年ぶりに母国フランスにEUROのタイトルを奪還した最大の功労者はプラティニ氏だった。
大会5試合で「9得点」を記録し、得点王のタイトルを獲得。フランスの大会制覇に多大な貢献を果たしている。
この「9得点」は、今年開催された大会でFWクリスティアーノ・ロナウドに抜かれるまで守られていたわけだから、プラティニ氏の能力を如実に示す記録だろう。