コラム:いつの時代もユベントスが求めてきた「いぶし銀」の存在
2021/07/25
著者:J-JOURNAL 編集部 山口 努
欧州のフットボール界において、ビッグクラブもしくはメガクラブと称されるクラブは、立ち止まることを許されていない。
立ち止まれば、強い日光に照らされ、水を与えられなくなった植物のように枯れてしまうものだ。
近年のビッグクラブたちはチームの強化を進めつつ、SNSを駆使しファンを増やし、株価の変動にも気を配りながらスポンサーを増やし、収入を増やしていかなければならない。
「質実剛健」という四字熟語がしっくりはまったビアンコネーリも、昨今は改革を余儀なくされている。
クラブに国内のタイトルのすべてをもたらした、マッシミリアーノ・アッレグリ監督を2019年に解雇。
チームにスタイルの構築を求めて、マウリツィオ・サッリ監督を招聘したことは理解できなくもない。その後のアンドレア・ピルロ前監督も同様である。
頭ごなしに「失敗」とは思わないが、考えていた構想が成功したとはいえないのが実情だろう。
ユベントスの首脳陣は、たとえタイトルを勝ち獲ったとしても「一定の水準」を求めている。
ふたたび今シーズンからアッレグリ監督を招聘したことは、それを求め、且つクラブのアイデンティティを取り戻すための選択だと考えるのが普通だろう。
たとえば、昨今ユベンティーニが気の毒に思うほど、走れる選手は少なくなった。その反面、テクニックの面で洗練された選手が多くなった印象が濃い。
先日、「CASA D’ANGELO CON J-JOURNAL」でお世話になっているアンジェロさんのところに伺うと興味深い話が聞けた。
イタリア人ジャーナリストの友人が多数いるアンジェロさんは、「アッレグリは気づいたみたいだね」と話し始める。
コメント