コラム:「ピルロ・ユベントス」の2020年
著者:J-JOURNAL 編集部 山口 努
「終わりよければ全てよし」というありがたくも、やや乱暴な戯曲(ぎきょく)がある。
劇作家ウィリアム・シェイクスピアが世におくり出した世界的な戯曲は、400年を経た現代でもありがたくも、乱暴に使われている。
激動の2020年が暮れようとしているが、アンドレア・ピルロが率いるビアンコネーリにはこの戯曲は当てはまらないだろう。
今年の最終戦となったフィオレンティーナ戦では0-3の屈辱的な敗北。この怒りと脱力感は、ユベンティーニにとって拭えない記憶となっているはずだ。
加えて、ユベントスの「要塞」アリアンツ・スタジアムで、セリエAで喫した最多失点記録を更新する“おまけ”が付いた。
「勝てば官軍負ければ賊軍」ではないが、イタリア王者が敗戦を喫すると蜂の巣をつついたような報道合戦が繰り広げられる。
ピルロの「進退」にまで問題が発展し、FWクリスティアーノ・ロナウドの年齢的な衰えを指摘し、試合の戦犯探しに躍起になる。
これが、いかにユベントスがイタリア中で憎まれ、同時に“愛されている”という確固たる象徴なのだろう。
UEFAチャンピオンズリーグ(CL)においてホームでバルセロナに敗戦を喫すると、同様の報道合戦が繰り広げられたのは記憶に新しい。
前回のコラムでも書かせて頂いたが、あの敗戦には致し方ない部分が多分にあった。が、負けて良い試合など、ユベントスにはないはずだ。
究極をいえば、「負けなければよい」というアイデンティティがクラブにはあり、「ウノゼロ」の文化もそこから生まれたはずだ。
強豪から守りぬいた末の「1点」に歓喜し、奪った「1点」を全員で守り抜く姿勢はユベンティーニの誇りにもなっていた。
だが、近年は求められる姿勢に変化が生まれてきたのは周知のとおりだ。
攻めて、攻めて攻め抜くスタイルがフットボールシーンを席巻し、「守り勝つ」という言葉はもはや死語になっている風潮がある。
それはユベントス自身が2016/17シーズンのファイナルで、レアル・マドリー相手に身を持って体験している。
マッシミリアーノ・アッレグリ、マウリツィオ・サッリを経て、「稀代のレジスタ」と称されたピルロが監督に就任すると、そのスタイルに変化を感じさせている。