コラム:ユベントスの下した「ピルロ新監督」という決断
著者:J-JOURNAL 編集部 山口 努
アントニオ・コンテが就任し、無敗街道を突きすすんでいた2011/12シーズン。
その躍進を支えたのは誰の目にも明らかだった。アンドレア・ピルロが中盤の底で“タクト”を振るい、小気味よいリズムでチームはシンフォニーを奏でていた。
マエストロ(ピルロの愛称)の脇を固めたクラウディオ・マルキージオ、MFアルトゥーロ・ビダルに身振り手振りで指示を与えていたのを憶えているユベンティーニは少なくないはずだ。
MF陣だけに留まらず、DFレオナルド・ボヌッチ、SBステファン・リヒトシュタイナー、FWファビオ・クアリアレッラ、アレッサンドロ・マトリにも険しい顔で指示を送っていた。
檄を飛ばされたミルコ・ヴチニッチは、素知らぬ顔でピルロに背を向けていたが、試合後に笑顔でハグをしていたことを考えるとそういう人間なのだろう。
スクデットから2005/06シーズンから遠ざかり、公式記録では2002/03シーズンぶりの奪還が近づいたあの感覚は、現在では懐かしいものになっている。
新しいユベントス・スタジアム。そして「コンテ・ユベントス」を筆者はどうしても自身の目でみたくなった。
真新しい近代的なスタジアム。極寒だったが、モニターの中でしかなかった光景を目にして体温が上がりっぱなしだったのを憶えている。
観戦したカターニャとの一戦でピルロはビアンコネーリのシャツを通して、初ゴールを得意のFKで決めてみせた。
スペシャルなFKだったのかもしれないが、マエストロはいとも簡単に決めてみせたため、なんとなくしか記憶にない。
ただ、ボールの前に立った背番号「21」の姿をみたとき「決まるな」という根拠のない自信があり、結果、その通りになった。
強烈に記憶に残っているのは試合前の練習だった。
チームは2列になってウォーミングアップをする。その先頭の2人は現在でもチームの顔が立っている。
当時の先頭はキエッリーニとピルロだった。また、チームメイトがシュート練習をするなか、なぜかピルロはスタッフとロングパスの練習をしていた。
ハーフライン沿いでおこなわれたパス練習でピルロは、膝の高さほどの弾道でおよそ50mかっ飛ばしていた。
Jリーグで20m、30mはみたことはあったが、ピルロの放った弾道は桁違いだったため現在でも鮮明に憶えている。
超人的なテクニックよりも目を惹いたのは、翌日のスタジアムツアーだった。
ユベントスのロッカールームはコの字型にベンチが置かれているのは今さら説明する必要もないだろう。
「コ」の字の「縦」の部分には2人しか座れない。筆者はアレッサンドロ・デル・ピエロとジャンルイジ・ブッフォンだろうなと思っていた。
前者は正解だったが、後者は不正解。デル・ピエロの隣の席はピルロだった。
歳を重ねたカルチョファンは、誰でもピルロを「ユベントスの選手」としてではなく「ミランの選手」として、みる傾向にあるはずだ。
だが、「よほどのリーダーシップがあるのか」。もしくは「そういう地位を約束されての加入なのか」、とも邪な考えを抱いたが、サン・シーロでのミラン戦を観戦して、頭を下げたくなった。
コメント