コラム:過ぎ去りし永遠の日々
ユベントスの練習場「ヴィノーヴォ」はトリノの人里離れた場所に佇んでいる。多くのティフォージは車で駆けつけるが、外国人が訪れるにはタクシーまたは、公共交通機関を駆使してその場所に訪れなければならない。
ヴィノーヴォは選手たちと触れ合えるため、ユベンティーニにとっては至極の場所である。練習を終えた選手たちがファンたちの待つ場所に駆けつけ、写真撮影やサインなどに応じる。まさに究極の時間が送れる。
練習時間は午前か、午後か、クラブの公式サイトで前日に発表される。熱心なファンになると練習開始前からその場所を訪れ、選手たちの“出席状況”から確認する。練習を終え、帰った選手と“残っている”選手が分かる、という話だ。
ある程度の時間になると列の先頭にいるユベンティーノの元に、顔見知りのティフォージたちが訪れ“今日”の状況を教え合う。そこの常連客ともなると、ユベントスのビアンコネーロの“白”の部分は、サインで埋め尽くされたユニフォームになる。
また決して褒められたことではないが、人によっては選手の住所まで知っているようだから、いささか薄気味が悪い。筆者が訪れたのは現地時間3月9日。正直、乗り気ではなかった。極端な言い方を許して貰えるなら、日程的にも、選手たちがファンサービスに応じるとも思えなかった。
El PaísUEFAチャンピオンズリーグ(CL)トッテナム・ホットスパー戦2ndレグがウェンブリー・スタジアムで行われた翌日の8日、イタリア代表で、ローマで、共に戦った一部のユベントスの選手たちがフィレンツェに最後の別れに赴いていた。
同4日、遠征先のホテルで急死したDFダヴィデ・アストーリの葬儀に駆けつけると、ユベントスとは犬猿の仲で知られたフィオレンティーナのティフォージから温かい拍手が送られた。
選手も人間であり、そんな状態で翌日にティフォージに応対できるほどタフではないはずだ。またそれとは別の感情が筆者にはあった。筆者の肌感覚で申し訳ないが、欧州は昼間は気温が上がり、夕方から冷え込むイメージがある。
選手たちが帰路につく時間帯は春にも関わらず、暑くなる。照りつける太陽は、筆者に6年前の記憶を呼び起こさせた。初めて訪れたヴィノーヴォでは多くの選手が連日ファン対応に応じてくれた。
現在とは状況が大きく違った2011/12シーズン。CL出場権を2年連続で逃していた“暗黒期”にあたる。当時はアントニオ・コンテ政権1年目。ユベントスのスケジュールに余裕はあったが、チームはそれまで無敗の戦いをつづけ、現在の礎を築いた“あの”シーズンである。
そしてアレッサンドロ・デル・ピエロのラストシーズンでもあった。