コラム:「アッレグリ・ユベントス」の真価が問われる44日間
2022/10/01
著者:J-JOURNAL 編集部 山口 努
筆者の少年時代、日本代表のワールドカップ出場は見果てぬ夢だった。
「ミスターマリノス」として愛された木村和司さんは唯一、その夢の扉に手をかけたフットボーラーだったと現在でも疑っていない。
旧国立競技場でみせたFKは「伝説」として脳裏に焼き付いているし、今後も忘れることはないだろう。
その「ミスターマリノス」は2010年、古巣の監督を引き受けたときは正直驚いた。
名門“日産”を監督未経験者が背負っていく…それと同時に、こんなことを思った。
「果たして、大丈夫なのだろうか」と。
就任初年度は8位に終わったものの、就任2年目は優勝争いに加わったが終盤に失速。
ACL(アジアチャンピオンズリーグ)出場権を逃し、クラブから解任を言い渡された。
その2年間の内容を、失礼を承知で打ち明けるがスポーツニッポンに連載されたコラムで筆者は知った。
taneaそのコラムは赤裸々なまでに監督としての職業の歓喜と難しさが滲(にじ)み出ており、楽しみにしていた。
故松田直樹さんとの逸話なども語られ、おそらく木村さん自身のまっすぐな人間性も感じられ、勉強にもなった。
木村さんのコラムを読んでいて、感じたことがあった。
アンドレア・ピルロ監督とは、途方もなく凄い監督だったのではないか、と。
そして、木村和司さんとピルロ監督から、監督の職業という難しさを改めて教えられたつもりでいる。